代表の祝辞 ~第41回FC夏島卒団式~
13名の卒団生の皆さん、卒団おめでとう。そろって13名が無事卒団します。とてもいい景色です。
皆さんは、今振り返ってみて自分たちのチームや隣に並んで座っている仲間をどのように思っていますか?
私は、とてもいいチームのように見えました。何故なら、先ほど皆さんが6年担当コーチにそれぞれが感謝の言葉を真っ先に述べていたことでもそれが伺えます。
また、私は後輩の部員から「あんな6年生みたいに パスが繋げるサッカーが出来るようになりたいなあ!!」とか「6年生の○○君のようなプレーヤーになりたいなあ!!」とかをよく耳にしていた事でもいいチームだと分かります。今年の卒団生の中には年中さんから入部し、8年間もずっと頑張ったあきと君みたいな部員もいます。げんき君は年長さんから7年間も在籍してました。皆で支え合ったチームであったのでしょうね!!
さて、以前、私は皆さんに
「松田直樹」選手の事を話したことがありました。横浜マリノスを2010年11月27日に「戦力外通告=クビ通告」され、JFLの松本山雅FCへ移籍して行った選手です。彼は翌週の12月4日、日産スタジアムのJリーグ最終戦後「ナオキコール」で鳴り止まないサポーター席に向かい叫びました。マイクを手にギュット持ち、「俺、マジでサッカー好きなんですよ。マジでサッカー、やりたい。最高のいいところ見せたいから、これからもサッカー続けさせて下さい」と・・・。自分は、マリノスのために、マリノスサポーターのためにこれからも戦いたい、戦わせてくれと・・・声をしぼって吐き出しました。
しかし、彼の声はマリノス社長と監督の元には、その声は届かなく失意の中で年末を迎えたのです。
ここで、彼の34歳と4ケ月の人生を振り返ってみます。文字通り「サッカー人生」そのものなのです。
1977年 3月14日 栃木県生まれ
1983年 小学校1年生 サッカーを始める
1991年 14歳で<U-15日本代表>に選出される
1992年 15歳で<U-17日本代表>に選出される
1994年 17歳で<U-19日本代表>に選出される
1995年 17歳でマリノスと契約
1996年 19歳で<U-23日本代表>に選出される
この年、アメリカのアトランタオリンピックで
ブラジルと戦い「マイアミの奇跡」を起こし
1-0でブラジルに勝利する。
2000年 21歳で<シドニーオリンピック>日本代表に選出。
2回連続してオリンピック代表に選ばれた選手はあの
中田英寿と彼「松田直樹」しかいない
2001年 23歳、<日韓ワールドカップ日本代表>
2002年 日本のデフェンススタイル<フラット3>の一翼を担い
ワールドカップ予選リーグ突破。決勝トーナメント進出。
ずっと「ミスターマリノス」とよばれた
失意の中で2010年の年の瀬を迎えた松田直樹。しかし、彼と契約したいクラブが現れたのです。
J1リーグ、J2リーグのその下のリーグ、JFLの「松本山雅FC」です。ここの社長・スタッフは 12月4日のあの姿をTVで観ていたのです。「この人だ。Jリーグへ連れて行ってくれる選手は・・」
彼らはこう松田直樹に伝えました。「今の松本山雅FCに必要なのは、あなたの“あの闘う魂”がぜひ必要なんです。
Jリーグに上がるためには最後のピース
“松田直樹の魂”がなければチームは完成しないのです。」と・・・。
松田直樹が松本山雅FCと契約するのに長い時間はいりませんでした。34歳になっていた松田直樹率いる松本山雅FCは2011年7月までのリーグ戦前半、なかなか成績が上向いて来ません。
8月末の後半戦へ強化合宿が必要です。その時は音もなく訪れます。2011年8月2日、強化練習中の短い休憩時間、仲間と芝生に座って談笑。突然、心筋梗塞が襲いました。「オイ、やばい ヤバイよ・・・」彼の助けを求める小さな声・・・。
「心肺停止」。
本当に突然、心臓が止まってしまった。救急車で運ばれたベッドで彼は、2日間戦いました。
が、心臓は二度とその脈拍を打ちませんでした。8月4日、34歳と4ケ月という切なくなる程短い一生でした。
松田直樹に
“闘う魂”を育てられた松本山雅FCは、後半戦立ち直り、この年J2リーグへ昇格を果たしました。
今年、2019年の松本山雅FCはJ1リーグを戦っています。
国宝松本城がある長野県松本市は、今サッカーに幸せをもらっているとの事です。松田直樹が松本市にもたらした遺産・財産はとてつもなく大きい。
しかし、彼が残し大きいものがもう一つあるのです。それは、君達小学生にいつも感じていてもらいたい大切なものです。それは下記の言葉です。噛みしめてみて下さい。
・サッカーは11人でやるもんだ。
・だから「仲間」がいなければ成り立たないんだ。
・そこに「最高な仲間」がいればどこにも負けないんだ
意味深い言葉です。今年の卒団生13人は「最高の仲間」でしたでしょうか?
もしそうでなかったなら4月からスタートする中学校生活を「最高の仲間」創りの時間に当てて下さい。自分らが進む道はそれぞれ違っていても「いつか・どこかで」再会するかも・・・。その時は、新しい友も横に居るかも知れません。「新鮮な最高の仲間」かも知れません
。松田直樹選手が遺してくれた上記の言葉は、きょうの君たちへのお祝いの言葉に見えてきます。
私が、FC夏島を42年間もやってこられたのも「サッカーを通しての仲間創りが“一丁目一番地”だったからです。私もサッカー人の一員。仲間の一人でしょう。
3月31日までは「だいひょう」と呼ばれるでしょうが 、2019年4月1日からは昔の古い代表の意味「オー(0ld=オールド)だいひょう=オー代表」と呼んでください。
いつかどこかでお会いしましょう!!
6年生後援会の皆様、13人の卒団生をよくぞここまで育ててくれました。そして心地よい支援・熱いサポートありがとうございました。感謝申し上げます。
子どもの入部期日に早い遅いはありますが、皆さんの姿は“しなやかに繋がっているナ!!”と感じ安心していました。このバックアップがあるからこそ13人の部員も力を発揮出来たのでしょう。ありがとうございました。
それでは、13人のサッカーボーイ諸君、健康で頑張れ!!以上をもちまして、お祝いの言葉に代えます。
2019年3月吉日