それは「Morning Kickers」から始まった。最初の転勤校、夏島小。1977年(昭和52年)の春。担当クラス5年1組45名。初々しいであろう新しい生徒たちとの対面。ワクワク感は“クラス開き”の初日、戸惑いに心は重かった。新学年を迎えた子供ら特有の“輝きの溢れ”が見えない。斜に新担任と新級友を観察している空気。何がそうさせているかは不問にした。この空気は換えなければならないと感じ、新提案一発。
「みんなは、ボール蹴ること、好きかなぁー?」パッと反応があった。
「朝から思いっ切り、ボールを蹴ってみないかぁー?」グッと顔が近づいた。
「男も女も、思いっ切り、サッカー、しようー!!」何かがドッと動いた。
そして一ヶ月後。
「みんな、スゴイよ!!7:30からの朝サッカー、全員参加で無遅刻だもんナァー!!“続ける力”を“みんなで”っていう点がスゴイよ!!君たちはスゴイ子供たちなんだよ!!」
聞いている瞳がうれしさを語っていた。
「ここで先生から提案。ユニフォームを作りたいんだけど・・・」
「いいヨォー!!」
一発可決。
一ヶ月前までは、親に起こされていた朝、抜いていた朝食、一歩が軽やかでなかった「行ってきまーす」の自宅の玄関・・・・。変化を成しとげた毎日が子供たちを勇気づけていた。真新しい深紅の赤ユニ(女子)と明るい緑ユニが毎日元気にグランドを駆けていた。その子供たちからの「自分たちに、チーム名を付けたい!!」と声があがった。彼らに任せた。
「先生っ!!早朝からボール蹴りだから“モーニング キッカーズ”にしまーす!!」
こうして、FC夏島の第一歩は、そのチーム名“モーニング キッカーズ”として歩みが記されたのです。この頃になると教室が生徒一人ひとりの表情と瞳と動きで明るかったし、教室の空気が美味しかった。“絆”を実現させる推進力にサッカーを活用して成功の感。
子供たちの気持ちが「市や県など色々な大会に出たい」と強くなって来たので、登録を機会に新しいチーム名にして、部員も広く募集していく事にした。夏島小のみでなく、追浜小、浦郷小の仲間も増やして行こうと展開。チーム名は、ヨハン・クライフのFCバルセロナのサッカーが魅力的であったので私が『FC夏島』と1979年1月命名し、市と県に登録。
活動が今に到り歩みを刻んでいる。
チームの思想は、今も不変であります。サッカーは手段であるという事。サッカーを通じて自分の住む地域を好きになって欲しい。サッカーを通じて心を通わせて欲しい。サッカーが出来る喜びを作ってくれる色々な人々に感謝して欲しい。サッカーを通じて心と体を成長させて欲しい。そのために、指導者は「勝ち」のみに血眼にならず、「全員サッカー」(試合に全員を出場させる)で試合に臨むことに共通理解している。
2011年1月で創立32周年。子供たちを大切にする指導まなざしを・・・・。
地域・後援会・部員に支持されながら今後も成長していく覚悟です。
FC夏島 代表 前田文昭